先週ご紹介したクムカヒ岬。ここに灯台があることは少しお話しましたが、この灯台、火山の島ハワイ島ならではの歴史を持っているのでご紹介しましょう。
ハワイ島最東端のクムカヒに灯台が作られたのは1928年のこと。最初は木製の柱に自動点滅するビーコンがつけられただけのシンプルなものだったといいます。1933年になると、灯台守が住む小屋が備え付けられた、鉄柱性の本格的な灯台が作られます。
1938年、この灯台守の職に、ジョー・ペストレラという人が配属されます。ジョーさんは、この荒涼としたクムカヒを少しでも住みやすく、美しくしようと、私財を使ってレモンやマンゴ、タンジェリン、月桂樹などの果樹園を作り、地元でも名物灯台守として話題になりました。
ところで、クムカヒ岬は、キラウエア火山のイースト・リフト・ゾーン(地下で溶岩流が流れる割れ目)の先端にあたります。そのため、しばしば溶岩流によって灯台も脅かされてきました。一番危機的だったのは、1960年にカポホの村を襲った溶岩流。クムカヒまで達した溶岩は、ジョーさんが丹誠込めた果樹園と住居を呑み込んでしまいます。ところが灯台の麓まで達した溶岩流は二手に分かれ、灯台を残したまま海に達するという不思議なことが起こったのです。
その時ジョーさんはギリギリまで灯台を離れず任務を勤めたといいます。就任以降、何度か溶岩流の脅威にさらされながらも灯台を離れずに勇敢だったジョーさんは、名誉市民にも表彰されました。
1960年の溶岩流後、灯台守のジョーさんは、オアフ島のマカプウ灯台へと転属になります。クムカヒ灯台は再び自動操作のビーコンへと作り替えられたからです。そしてクムカヒ灯台はこの形で現在に至ります(写真)。