ラハイナやカアナパリ方面で、仕事をしていたり、マウイに遊びにやってきた友人たちと海辺にいると「あの島は?」必ず聞かれます。
はい、ラハイナやカアナパリから海をまっすぐ見ると見えるのは、ラナイ島。どんな島なのか?
ラーナイ・オ・カウルラーアウというラナイ島の別称を知るとよくわかります。
昔々、ラナイ島には人が住んでおらず、物の怪の島でした。あるとき、マウイ島のカカアラネオ王が、勤めを果たさずに横暴や盗みを繰り返す息子のカウルラーアウを罰としてラナイ島に送り込んだのが、ラナイ島に人が住むことができるようになったきっかけ。物の怪の島であるラナイ島で物の怪を退治し、人が住めるようにしたら父であるカカアラネオ王の怒りも解けるであろうと、カウルラーアウはの多くの物の怪を退治したと語り継がれています。
最後に残った物の怪は、悪夢を司るパフル。夢のなかに現れるこの手強い物の怪は、カウルラーアウが眠る場所を探し当てようと、「今晩はどこで眠るつもりかね?」と尋ねますが、カウルラーアウはその度に上手に言い抜け、パフルは何晩も眠る場所を見つけることができませんでした。とある、月夜の晩、カウルラーアウは水面に映ったパフルを見つけ、ついに退治をしてしまいます。
物の怪を退治し、ラナイ島に人が住めるようにしたカウルラーアウは、島のもっとも高い頂に住むことにしました。以降、その頂はラーナイ・ハレと呼ばれています。神様たちの住む域であるため、雲がかかっていることも多いのですが、天気次第で午前中などに時々、その姿を見ることができることも。カウルラーアウがラナイ島の物の怪退治が終わったのが1500年台ですから、人が住みはじめたのはその後の時代。その後カメハメハ王のハワイ統一、ハワイ王国の建国、そして王国は激しい歴史の荒波にもまれていきます。
1922年、ジェームス・ドールが島を買い上げ、パイナップル産業を始めましたが、パイナップル産業の成功は長くは続かず、島の産業は観光業へと移り変わり、現在はジェームス・ドールから数えると三人目のオーナーが島の98%を所有しています。土地に対する考え方、想いは文化によって違いがありますが、日本人はハワイの人々同様に、先祖からの土地を大事にすることを大切にしていますから、この島の激動の歴史に、しばし思いを馳せてみることもできるのではないでしょうか。
※日本文化でも同様ですが、神話や言い伝えには様々な説があります。