デュークが誕生した1890年、当時はハワイ王朝が困難な時期に直面し、比例して西洋文化が広まっていきハワイ文化が薄れてしまっていった時代でした。
そのような時代背景がある中、1912年デュークはストックホルムで開催されたオリンピック水泳自由形100メートルでハワイ出身者初の金メダルを獲得し、ハワイの人たちにとってヒーロー的存在になりました。
その後、彼はアメリカ本土やオーストラリアでサーフィンを披露し、行く先々で世モダン・サーフィンを広め、人気のスポーツにしたことに貢献しました。今につながる世界的なサーフィンの広がりの原点となったのです。
デュークの功績を讃え、「サーフィンの父」と呼ばれています。
水泳選手としても、1920年アントワープオリンピック水泳自由形100メートル・800メートルリレー金メダル、1924年パリオリンピック水泳自由形100メートル銀メダルなど数々の大会に出場し、数え切れないほどのメダルを獲得し世界チャンピオンとして君臨しました。
ワイキキビーチボーイズ
デュークは選手としてだけではなく、現在ワイキキで観光客にサーフィンやカヌーのレッスンをしているビーチボーイズの創始者の一人です。海の楽しさを教える傍ら、ワイキキビーチの安全を守りました。
1925年、カリフォルニア州ニューポートビーチで、8人の漁師を大海原から救い出すという、ホノルル・スター・ブレティン紙が「超人的な救出劇」と評する活躍を見せました。
水難事故時から人々を救ったり、ハワイ親善大使としてアロハ・スピリットを広め現在もハワイの人々から尊敬されています。