中世ヨーロッパの歴史的な技法を現代に受け継ぐ、ハワイ在住画家noguchi氏の癒しアート

2022.08.30

ハワイ在住の日本人アーティストの中でも、ハワイ生まれで世界一となった画伯の最後の弟子となり、 独特なスタイルで作品を描き続けるnoguchi氏。アメリカ前大統領ビル・クリントン氏を始め、アメリカや日本のセレブリティーにも好まれ、ハッピーパレット、癒しのアートと言われている。

1991年から絵を描き始めたnoguchi氏は、ハワイで運命の出会いとなった浦上正則画伯に師事し、ヨーロッパの絵の世界を学んだ。「ダ・ヴィンチ技法」を受け継いだ浦上画伯の削り技法を継承したnoguchi氏は、油絵で絵を描いた後にアート用のナイフを使い、絵を削って作品を仕上げていく。

noguchi氏の師匠である浦上画伯は、1918年ハワイ生まれ。5歳から坂本繁二郎や児島善三郎など日本を代表する画家たちに学び、パリを中心にアート活動を行いピカソとも交流があった。そしてイタリア全土を周って、とある教会の倉庫に保管されていた多数の未完成のレオナルド・ダ・ヴィンチの絵を研究し、「ダ・ヴィンチ技法」を継承。

この技術を使って時代を超えた独自の手法を発展させた浦上画伯の作品は、フランス最高峰の国展ル・サロンやニース展で大賞を受賞した。そして、ニース展でもグランプリを受賞。当時世界最高峰と言われていたフランスの国展などで大賞を受賞した浦上画伯は、名実ともに世界ナンバーワンの画家となったのだった。

フランスで活躍後は、ブラジルへ移住。ブラジリア最高裁判所壁画を完成し、ブラジル政府より平和勲章を授受した。また法隆寺の壁画の模写も行い、日本での個展では現在の天皇が皇太子時代にお見えになるなど、世界で活躍した日本人画家である。

浦上画伯の晩年は、ハワイに拠点を移して後継の指導にあたった。子供達に絵を教えている聞いた当時20代のnoguchi氏は、浦上画伯に会いに行き、最後の弟子となったのであった。

ピカソと交流のあった浦上画伯は、noguchi氏に絵の指導をする際にもピカソとのエピソードを多く語ってくれたそうだ。ピカソは、「私の仕事は世の中にない形や色を創ることだ」と言い、見たものをそのまま写実的に描くことは多くの画家ができるが、そうではなく見たものをどのように形を変え、角度を変え、色を添えて自分らしく表現して描くことが真の画家の仕事だと浦上画伯に話したという。

「カメラがない時代は肖像画が画家の仕事でした。しかし、カメラが登場した時点でその役目は終わり、 『写真では表現できないものを描く』ことが新しい画家の役目となったと先生は教えてくれました。

先生は、子供の頃から児島画伯などが付いて絵を学んできた経験から、『絵の基本が崩せない』とよく言っていたました。僕はそういうベースがなかったのと、先生が自由に描かせてくれたので、自由に絵を描き、先生から可愛がっていただきました」とnoguchi氏は懐かしそうに語ってくれた。

20代後半から絵を学んだnoguchi氏だったが、浦上画伯が認めたnoguchi氏の作品が、2003年にハワイ美術院展で大賞を受賞。以後、有名ホテルのガイドブックやウェディング、旅行業界のアートを手掛けるなど多くの作品を提供し、日本での個展やイベントにも出店するなど精力的に活動を続けている。

noguchi氏のゴールは、恩返し。

「一通りいろいろやってきて、楽しかったし良かったので恩返ししたいですね。ハワイに暮らさせてもらえたことなど、アートを通じてハワイの良さを伝えていきたいです」

ハワイで素晴らしい先生に巡り合え、発表するアートもハワイあってのもの。「ハワイあってのnoguchiだから」と感謝を忘れない。世界を股にかけ、レオナルド・ダ・ヴィンチの技法を受け継いだ浦上画伯の削り技法をメインに、ますます広がりを見せるnoguchi氏のユニークなアートの世界を是非チェックしてください!

noguchi アート インスタグラム

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