ワイキキ周辺の銅像全8体!いくつ知ってる?

2024.02.22

ハワイにはある銅像

ハワイには王家の銅像が様々な場所に設置されています。一番よく知られているのは、オアフ島ダウンタウンにあるカメハメハ大王像でしょうか? 観光名所となっているので、銅像前で記念撮影された方も多いかと思います。

1795年にハワイを統一し、ハワイ王国を作ったのが、このカメハメハ大王1世です。ホノルル・ダウンタウンのアリ・イオラニ・ハレの正面、イオラニ宮殿の道路向いに佇んでいます。実はこのカメハメハ大王像は、オリジナルではないというのはご存じですか? オリジナルは、ハワイ島カパアウにある像(左の写真の像)です。

なぜなら、1880年にイタリアのフィレンツェで作られた大王像は、 ホノルルに運ぶ途中に船が沈没し、オリジナルの像はなくなってしまったのです。そこで2体目の大王像が作られました。その後、1912年海に沈んだ大王像が発見され、その像は、カメハメハ大王の生誕地のカパアウに設置されました。ちなみに、カメハメハ大王像は、このほかに、ハワイ島ヒロに(右の写真の像)もありますが、すべてお顔が違うので見比べてみるのも楽しいですよ!

ワイキキにある銅像のことを知ろう

カメハメハ大王像の話から、ワイキキにある銅像に話を戻します。ワイキキには、多数の銅像があります。王族の銅像をはじめ、歴史上有名な人物の銅像など。ワイキキで一番有名な銅像と言えば、ワイキキビーチのクヒオビーチ前に佇む、「サーフィンの父」で知られるデューク・カハナモク像でしょう。

でも、他にも王族系の銅像がカラカウア通りなどに点在しています。
歴史をチェックしながら、銅像めぐりのワイキキ散策はいかがですか? きっと新しい発見があるはずです!

カピオラニ王妃像

ダイヤモンドヘッドがとってもキレイに見えるカピオラニ公園がありますよね。この「カピオラニ」ってどこから来た名前かご存じですか? カラカウア通りの名前にもなっているハワイ王国第7代のカラカウア王の妻が、カピオラニ女王。女王の名前がこの公園名になりました。

そして、このカピオラニ公園に、2001年12月31日、カピオラニ王妃の誕生日に銅像が設置されました。この銅像は、カウアイ島のアーティストのホーリー・ヤング氏が制作したもので、高さが6フィート(約1.8m)。

カピオラニ王妃の最初の公務は、ハンセン氏病の人たちへの寄付金集め。チャリティーイベントを開催することで、寄付金を集め、ハンセン氏病患者へ貢献された王妃です。他にも、自身も子供を死産をさせた経験もあり、母親らが安心して出産できる施設「カピオラニ産院」を1890年にオープンしました。その施設は、「カピオラニメディカル病院」として現在もあります。実はその病院で、第44代アメリカ合衆国大統領だったバラク・オバマ氏は生まれています。

カピオラニ王妃のモットーは、ハワイ語で「Kulia I Ka Nuu」(最善を尽くす)。生前、モットー通り、国民のために最善を尽くされた王妃です。

クヒオ王子像

ワイキキビーチは、 8つのビーチの総称ですが、そのビーチの1つに「クヒオビーチ」があります。その名の由来となった「クヒオ王子」の像が、聖オーガスチン教会の向いに、2002年1月12日にショーン・ブラウンが制作し、設置されました。

クヒオ王子は、カピオラニ王妃の妹の息子、つまり甥です。しかし、幼い頃に母を亡くしたことで、カラカウア王とカピオラニ王妃の養子になっています。クヒオ王子は、1922年に亡くなる前の1901年に共和党に加わり、ハワイ準州選出の合衆国議員に選出され、議員として活躍しました。

王子の誕生日3月26日は、現在は「プリンス・クヒオ・デー」と呼ばれ、ハワイ州の祝日となっています。銅像前では毎年「プリンス・クヒオ・デイ・セレブレーション」といったセレモニーやパレードを行っています。

デューク・カハナモク像

「近代サーフィンの父」と呼ばれるデューク・カハナモク氏の銅像は観光名所として人気のスポットですが、デューク・カハナモク氏はどんな方がご存知ですか?

1890年に誕生したデューク・カハナモク氏は、ワイキキビーチで育ち、幼少期から海で遊び、カヌーやサーフボード、そして水泳を行っていました。デューク氏が自由形を知ったのは、1910年頃。この自由形の動きが、サーフボードで沖へ出るときに腕で水をかく「パドリング」に似ていたこともあり、簡単に真似することができたそう。デューク氏は、生涯4度ものオリンピックに出場しています。

1912年ストックホルムオリンピックで100メートル自由形の金メダル、アントワープのオリンピックで金メダル、パリでのオリンピックで銀メダルを獲得。そしてロサンゼルスのオリンピックに出場されるまで20年間オリンピック選手で、当時の最長記録だったそうです。ハワイに初の金メダルをもたらした選手でもあります。

デューク氏は、アメリカやオーストラリアなど世界中でサーフィンを広めるために行った活動が、世界的なサーフィンのはじまりと言われています。つまり、 デューク氏の活動がなければ、サーフィンは存在しなかったかもしれません。

デューク・パオア・カハナモク氏は8月24日が誕生日ですが、毎年誕生日を祝して、8月の彼の誕生日前後に「デューク・カハナモク・オーシャン・フェスティバル・ワイキキ」がクヒオビーチで開催されています。

カイウラニ王女像

ハワイ王国第8代リリウオカラニ女王の姪、カイウラニ王女は、ハワイ王国最後の王位継承者です。

1875年10月16日に誕生したカイウラニ王女は、幼少期の3年間イオラニ宮殿の近くのクィーン・エマ・ストリート住み、その後「アイナハウ」と呼ばれる現在の「プリンセス・カイウラニ・ホテル」のエリアに住んでいました。王女が13歳の時、女王にふさわしい教育を受けるために、イギリス留学をしていますが、その後23歳という若さで他界。

1991年10月6日、王女の誕生日に、ジャン・ゴードン・フィッシャーによって制作された像は、「オハナ・ワイキキ・イースト by アウトリガー」の向いの幼い頃住んでいたエリアに設置されました。銅像には、カイウラニ王女が愛したクジャクが隣に佇んでいます。

バニース・パウアヒ王女像

バニース・パウアヒ王女は、カメハメハ大王の曾孫で、カメハメハ直系最後の王女。1831年12月19日に誕生しました。その後、ロイヤルスクールで女王になるために教育を受けましたが、ここで、ニューヨーク州グレンズフォールズ生まれのチャールズ・リード・ビショップ氏と出会い、1850年6月に結婚しました。

パウアヒ王女は、カメハメハ直系最後の王女であったこともあり、ハワイ全島の11%にも及ぶ土地を相続したそうです。そして、王女の死後、遺言によって、ネイティブハワイアンの子弟が通う学校「カメハメハスクール」が現在のビショップ 博物館があるあたりに設立されました。そして、夫のビショップ氏は、彼女の死を追悼し、1889年、カメハメハスクールの校内にビショップ博物館を建てました。これが、現在のビショップ博物館です。

バニース・パウアヒ王女像は、ショーン・ブラウン氏によって制作され、2007年12月19日、ロイヤル・ハワイアン・センターのロイヤル・グローブに設置されました。当時ロイヤル・ハワイアン・センターは、カメハメハスクールが所有していたこともありこの場所に像が建てられました。

カメハメハ4世&エマ王妃

カメハメハ四世の「アレキサンダー リホリホ」は、カメハメハ大王の娘キナウの子供で1834年2月9日にホノルルで生まれました。

エマ王妃は、幼なじみのアレクサンダー・リホリホ、後のハワイ王国第4代王カメハメハ4世のお妃です。エマ王妃が20歳、カメハメハ4世22歳の1856年に、ホノルルにあるカワイアハオ教会にて結婚式を行っています。2年後の1858年、エマ王妃はアルバート王子を出産。1862年、王子4歳の時に病気を患い他界。翌年1863年には夫のカメハメハ4世も他界しています。

その後、エマ王妃はヌウアヌ谷にあったサマーパレスにこもり、ここで余生を過ごしました。また、カメハメハ4世とエマ王妃は、ハンセン病などの病気がハワイに持ち込まれ人口減少を恐れたこともあり、独自で寄付を募り、「クィーンズ病院」を建てています。それが現在の「クィーンズ・メディカル・センター」です。

インターナショナル・マーケットプレイスは、2016年にリニューアルされましたが、もともと、この場所は、カメハメハ4世が所有していたこともあり、リニューアル後に、カメハメハ4世、エマ王妃、アルバート王子の銅像が、ヴィリアミ・トルタヌ氏によって、作られ、設置されました。

カラカウア王像

ハワイ王国第7代王であるカラカウア王の像は、ワイキキのカラカウア通りとクヒオ通りの分かれ目の三角地帯に1991年に設置されました。

カラカウア王は、1874年2月に王となり、在任中、米国との互恵条約締結させたり、外交のために世界一周をし、日本にも訪れ明治天皇に謁見しています。その際にさとうきびプランテーションで人手が不足していたため、日本政府に、日本からの移民の派遣を提案し、「官約移民」が実現しました。

1882年には王族の公邸のイオラニ宮殿を建てています。外交の場としても使われたイオラニ宮殿は、欧州の建築様式で作られ、 宮殿内には、水洗トイレやシャワー、電話、電気、エレベーターといった最新テクノロジーが備わった宮殿でした。

カラカウア王と妹のリリウオカラニ女王は、音楽が好きで、作詞作曲した曲が残されています。1820年頃からアメリカ宣教師によって、フラは「野蛮」なものとされ、その後1830年から、クイーン・カアフマヌによって公共でのフラ禁止の条例が出されていました。そのフラを復活させたのが、メリー・モナーク(陽気な君主)とも親しまれたカラカウア王でした。そのため、フラ界のオリンピックとして称されるフラ最大の祭典は、「メリー・モナーク」と名付けられているのです。

ワイキキの歴史

このように、ワイキキの観光地には、多数の歴史的人物の銅像が設置されています。
「ハワイ州観光局のヒストリックガイド ワイキキ」では、ワイキキの歴史を紹介していますので、こちらをご覧いただきながら、次回のハワイ旅行の際に、これらの銅像を巡られるのはいかがでしょうか?

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