ハワイ王朝最後の君主、リリウオカラニ女王がイオラニ宮殿の一室で幽閉生活を強いられた8ヶ月の間(1895年1月〜9月)、女王時代の財産、自由、地位は、ことごとく、取り上げられてしまいますが、彼女の聡明な知力や魂から生まれた新たなものは、後世に遺すことができるのだと、当時のリリウオカラニ女王は確信していたのでしょうか?
名曲「Ku`u Pua I Paoakalani 」は、その逆境の中で作ったとは思えない、凛とした毅然さを感じます。
屈辱的ともいえる逮捕、裁判、王位廃位、幽閉生活。 誰を信じていいか、わからない失意のどん底にあった女王の気持ちを穏やかにし、支えたのは、イオラニ宮殿へギフトを届けたり、宮殿外の庭で女王が作った曲を歌う民衆のアロハスピリットだったと思います。
また、政治に関係ある書物、新聞などのギフトは、検閲により、排除される中、侍女のエヴァリン・タンゼント・ウィルソンの息子のジョン・ウィルソンが、パオアバレーの女王所有の庭園(ULUHAIMALAMAウルハイマーラマ)の花々を毎日の新聞紙に包んで届けたブーケが、検閲を逃れ、女王の手元に渡りました。そのラッピングペーパーの新聞により、女王は、外界で何か起こっているのかを知る事ができ、ジョンの行動に対して大変感謝したと自著に記しています。
「クウ・プア・イ・パオアカラニ」の歌詞では、女王が幽閉される3ヶ月前、激動の時代でもハワイ人が憩いの場として花を愛でて欲しいと願い、作った庭園「ULUHAIMALAMA」で咲いた美しい花々が自分の元に届けられた感動や花の美しさ&香りが表現されていますが、ハワイの歌に特有の技法「カオナ(ダブルミーニング)」的に考えると、
自分に忠誠を寄せてくれる「ハワイの民衆」を「花」にたとえ、
その花の香りはPAOAKALANI(=ROYAL PERFUME )忠義の香り、
この花々の色があせることがないのと同じように私を支持してくれる民衆は、
辱めをうけている幽閉生活の中でも自分を慕い、信じ続けてくれている、、、
また、ワイキキのパオアカラニにあった「女王の隠れ家」と呼ばれた私邸に集った友人や家族との想い出やそこで作った楽曲の数々も決して消える事がないだろう。。。。
数々の激動の時代を生き抜いたリリウオカラニ女王の凛とした気持ちの表れは、「ハワイの民」についての考え方が、生涯のモットー「'Onipa'a」(忠実、着実)であったからだと思います。
幽閉をされていた部屋は写真のイオラニ宮殿の2階の向かって右側。是非、イオラニ宮殿を訪ねて下さいね。特に同性である女性の方には行って頂きたい名所です。
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