ハワイ王国最後の君主であるリリウオカラニ女王が遺した数々の曲は、激動の中、公人だった彼女の心中を推測する重要なアイテムです。その激動の歴史を時間軸で追ってみましょう。
1893年1月14日
女王が新憲法の草案を議会に提出
1893年1月16日
1893年1月17日
臨時政府側によるハワイ革命。その後、ハワイ人による反対集会が繰り返される
1894年7月4日
臨時政府は、サンフォード・ドールを初代大統領にたて、「アメリカの独立記念日(7月4日)」にハワイ共和国を樹立。
1895年1月6日
王政派が反乱 、最終的に新政府軍に鎮圧。
1895年1月22日
リリウオカラニの私邸から、多くの銃器が発見されたことにより、反乱の首謀者の容疑で逮捕。イオラニ宮殿に幽閉された女王は反乱でとらえられた約200名の命と引き換えに女王廃位の署名。
1895年2月8日
女王の裁判が、イオラニ宮殿で行われる
1895年2月27日
反乱に加担した罪で5,000ドルの罰金と5年間の重労働の有罪判決。
1895年9月6日
釈放
かつて、自分が国の政を行っていたイオラニ宮殿で裁判を受け、沢山の想い出が詰まった宮殿で幽閉生活を送ることになった彼女の心中はどんなものだったのでしょう。
しかし、皮肉にもこの幽閉生活に作った曲の数々は、今もなお、ポピュラーソングとして、多くのミュージシャンにカバーされています。その一曲は、現在でも教会で賛美歌としても歌われる事の多いQUEEN’S PRAYER( 原題:Ke Aloha O Ka Haku 英題:Lord Mercy)です。
不当なクーデターをアメリカ政府に訴えるために、イギリスから渡米した姪のプリンセスカイウラニへのdedicated songとして、幽閉されていた、1895年5月22日に書いたとされます。
自由も尊厳も排除されていたであろう幽閉生活の中で、リリウオカラニの一筋の光は、ハワイのためにアメリカで東奔西走していた姪のカイウラニだったと思いますが、曲の中にしたためられた歌詞から推測すると、ハワイ王国を転覆させた王政反対勢力への恨みつらみではなく、大事な姪の将来とハワイ民衆の平和を願い、人生の教えを説いた賛美歌となっています。
女王が音楽ディレクターを務めたイオラニ宮殿そばのカワイアハオ教会の日曜の礼拝で歌われることも多いです。また、ハワイ王朝の生誕日の近くに行われるALI’I SUNDAYは、ハワイの歴史が好きな方におすすめのイベント。
詳細は↓
http://www.kawaiahao.org/about-us/alii-sunday/
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