ハワイの風景が見える音楽〜 アロハ・オエ(2)/リリウオカラニ女王

2014.09.13

ハワイ王国最後の君主、リリウオカラニ女王の生涯を調べていると、「この女性は、何とクリエイティブなアイデアウーマンだったのだろう!!」と感心してしまうことが多々あります。

そのひとつが「ハワイアン・ジュエリー」。正式には、「HAWAIIAN HEIRLOOM JEWERLY」と呼ばれ、気持ちや心を受け継ぐアイテムとして 現在では、ローカルや観光客の皆様にとてもポピュラーです。

そのハワイアン・ジュエリーを現代の世にいたるまで、ポピュラーにしたのは、リリウオカラニ女王の行動によると言えるでしょう。

1862年、ハワイ王国と親しかった英国王室のビクトリア女王の最愛の夫アルバート王子が亡くなります。女王は、その喪に服すために、黒いエナメルで文字を縁取り、花がデザインされたブレスレットを身につけたといわれ、イギリスでは、VICTORIAN MOURNING JEWERLY(ビクトリア式喪に服するジュエリー)として、貴族を中心にポピュラーなものとなります。

そして、当時、その話を聞いた、後のリリウオカラニ女王、リリウ・カマカエハ大酋長(23歳)は、ビクトリア女王の想いに感動し、自分も喪に服すために、アルバート王子との想い出を込めて、「ホオマナオ・マウ(永遠の想い出)」と黒いエナメルで縁取られたブレスレットをつくります。

その25年後の1887年6月20に行われた、ビクトリア女王の在位50周年記念式典の際、カピオラニ王妃と共にプレゼントされたブレスレットは、ビクトリア女王の名前が、黒のエナメルで縁取られたビクトリアン・ジュエリーでした。

1891年、カラカウア王の死により、王位を継承し、女王となりますが、1893年1月17日、ハワイ王国は事実上、転覆。

その数日前、女王の身辺や環境が、にわかに険しくなる中、リリウオカラニ女王が、イオラニ宮殿の舞踏会などのイベントプランナーだった、 pohukaina girls school の教師ゾエ・アトキンソンに感謝の気持ちをこめてプレゼントしたブレスレット。

形がなくなっても想い出や心を受け継ぐという気持ちが込められた、件(くだん)のビクトリア・スタイルで、「ALOHA O’E  Liliuokalani Jan. 5, 1893」と黒のエネメルが施されていました。そして、当時の女子生徒の間では「アトキンソン先生のブレスレットが素敵ね!私もアロハ・オエブレスレットを作るわ!」と大ヒットしたそうです。

もし、1883年、サンフランシスコにおいて、ロイヤルハワイアンバンドにより、初演された自作曲「アロハ・オエ」の文字をリリウオカラニ女王が、ブレスレットに印字する注文をしてなければ、あるいは、ファッションに敏感な女性の目にこのブレスレットが止まらなければ、名曲「アロハ・オエ」は、これほど、現代にいたるまで、ロングランヒットしていたかどうかは、定かではないような気がします。

ビショップミュージアムには、リリウオカラニ女王にまつわる展示品もありますので是非、訪れて頂きたし!
http://bishopmuseum.jp

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