クヒオ王子 (本名 Prince Jonah Kūhiō Kalaniʻanaole Piʻikoi) は、1871年(明治4年)3月26日、カウアイ島で誕生しました。
カラカウア王のお后カピオラニの甥にあたり、少年時代は王妃の養子(ハナイ hānai )として、ホノルルのロイヤルスクールとプナホウ校で学び、育ちました。
21歳の時に、リリウオカラニ女王が王権を放棄し、ハワイ王国が終りを告げ、ハワイ共和国の時代になりますが、2年後には王権を取り戻そうという動きが活発化し、クヒオもその動きに加わりました。しかし、ハワイ共和国への反逆罪で逮捕され、1年近く収監されてました。その後も政治活動を継続していたクヒオは、ハワイが準州になってからは共和党員としてワシントンD. C. で準州選出の米合衆国議員を務めました。
ワイキキのダイアモンドヘッド側、カラカウア大通りが直接海に接するあたりをクヒオビーチと呼ばれ、その名の由来となった「クヒオ王子」の像が、聖オーガスチン教会の道路を挟んだ海側に、ビーチを背景にたたずんでいます。
ハワイ王国が終りを告げてハワイ共和国となり、米合衆国の準州になっていく時代を生き抜き、1922年(大正11年)、50歳で他界したハワイ王家の末裔の姿を偲ぶことが出来ます。