日系移民の歴史と平和学習 

2021.12.27

日系移民の足跡をたどり、平和の尊さを学ぶ

日本からハワイへの移民は、19世紀に砂糖のプランテーションの労働者としてハワイへ渡ったことをきっかけに、日系人社会が形成されました。その後、真珠湾攻撃によって、日本と移住国アメリカが戦ったことで、日系移民は、オアフ島中部のホノウリウリ収容所や米国 本土の収容施設で収容されました。またハワイ州兵の一員としての任務も果たしました。日系移民の足跡をたどることで、日本とハワイの関わりから平和の尊さを学ぶことができます。

日系移民の歴史

元年者と言われる日本人がハワイに移住したのが明治元年(1868年)。その目的は、ハワイ王国の砂糖産業の拡大を受けて、農園での労働力が必要となり、外国からの移民の受入れをはじめ、日本人も砂糖農園へ入植するためにハワイに渡りました。

その後、1885年(明治18年)に明治政府が正式に認めた「官約移民」がはじまっています。1894年までに、両政府間の契約で約29000人の日本人がハワイに移住しました。主に山口県や広島県、福岡県、熊本県など西日本からオアフ島のみならず、各島の砂糖農園に入植しました。当初は、3年契約で、農地で働いてお金を貯めたら帰国をしようと考えていた人達が多かったようですが、現実は極めて厳しく、そのまま定住を余儀なくされる人も多かったそうです。

1918年(大正7年)の日本国総領事館の調査によると、ハワイの日系人口は10万人を超え、1924年(大正13年)には全体の70%にまでに達しています。これらの日系移民によって、日本文化は、ハワイにもたらされ、現在のハワイの文化の1つとして浸透しています。

オアフ島にあるハワイ日本文化センターでは、1800年代後半から現在に至るまでの日系人の歴史を学ぶことができます。他にもハワイ・プランテーション・ビレッジでは、ハワイの移民史に関する展示や、当時のプレンテーション農園での暮らしを見学することができます。

平和学習

日本の修学旅行では、広島や長崎にて平和について学ぶ機会が多く持たれますが、ハワイでも、平和の尊さを感じられる場所があり、平和を学ぶ施設が充実しています。
日系移民の足跡をたどることで、日本とハワイの関係の深さを知る事ができます。その大きな転機となったのが、祖国日本と移住国アメリカが戦った太平洋戦争です。

パールハーバーは、そのアメリカと日本の歴史を語る上で欠かすことができない重要な場所です。第二次世界大戦のきっかけとなった日本軍による真珠湾攻撃が実際に行われた場所であり、戦艦ミズーリは、第2次世界大戦の降伏文書調印式が横須賀沖で執り交わされた戦艦で、今はこのパールハーバーにU S Sアリゾナ記念館と向き合った場所に停泊しています。ここでは今戦争の始まりと終わりを示す痕跡が保管されている貴重な場所です。

真珠湾攻撃により沈んだ戦艦アリゾナ号の上に建てられたUSSアリゾナ記念館、ビジターセンターでは、展示物や写真、映像を通じ、平和の大切さを学ぶことができます。壁には戦死した全隊員の名前が刻まれています。海底に沈んだ戦艦から現在でも燃料が流れ出ている様子を目の当たりにすることで、平和の尊さ、絆の深さを学ぶことができます。

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